エドワード・O・ソープ「人生最高のアドバイス」
最初の質問ですが、あなたの仕事全体を通じて、さまざまな方法で「エッジを見つける」という言及をしています。
あなたにとって「エッジを見つける」とは何を意味しますか?
エッジを追求する
カジノと金融市場でのエッジ
カジノに行けば、カジノがプレイヤーに対して平均してに多くのお金を稼ぐことを知っているでしょう。
カジノにとってのエッジを見つけることは、私や私の読者のために、事情を逆転させることだと考えました。
私にとってカジノでのエッジを見つけるとは、平均してカジノからお金を勝ち取るシステムを意味します。
金融市場では、インデックスファンドを購入するだけで、多くのアクティブファンドの実績を上回ることがでます。
なぜなら、余分な手数料を支払わないからです。
しかし、市場でのエッジを見つけるとは、インデックスファンドに投資するよりも良い方法を見つけることです。
市場での良い結果とは、2つのことを意味します。
ひとつは、より高いリターンを得ること、もうひとつは、より低いリスクを追求することです。
私は最初のヘッジファンドでこれを実現しました。
ファンドは約19年間運営され、インデックスよりも年間で約2倍の利益を上げました。
そして、リスクは20分の1か50分の1でした。
230ヶ月のうち、3ヶ月だけが1%未満のマイナスでした。
インデックスは3ヶ月ではなく、96ヶ月下落しました。最悪の下落月は1ヶ月で21%の下落。9%、10%、11%、12%、13%の下落月もありました。
おかげで、私は夜安心して眠ることができましたよ。
私はファンドで毎月お金を稼ぐことを期待しており、それが実現されたと言っても良いでしょう。それが市場でのエッジを見つけることだったのです。
人生の中でのエッジ
そして、エッジを見つけるという考え方を私達の生活にも適用することができます。
たとえば、私が最初に考えたことのひとつは、喫煙しないことです。
私達は喫煙しないことにより、平均して7年間の余分な寿命と、より健康な年齢を手に入れることができます。
もうひとつは運動です。
運動することにより、数年間の余分な寿命と、健康的な生活を手に入れることができます。
これらのことに注意を払うだけで、難しいことを考えることは必要ありません。
少しの規律と、明確なビジョンだけが必要です。
それが生活でエッジを見つける方法です。
そして、リスクについても多くのことが言えます。
たとえば、オートバイに乗ると、死亡するリスクは、乗用車に乗る場合の約25倍になります。
乗用車に乗ると、先進国の飛行機で飛ぶ場合の約100倍です。
これらの小さなことに注意を払うだけで、それらはすべて積み重なり、あなたの人生は有利になります。
科学に興味を持ったきっかけ
次の質問ですが、科学に興味を持ったきっかけは何でしたか?
私にとって最も印象的だった出来事は、10歳頃、父が誕生日やクリスマスのプレゼントとして私に与えてくれたものでした。
それは小さな鉛の塊で、その中には石炭のような小さな黒くて光沢のある結晶が入っていました。
その結晶には小さなワイヤーで触れることができ、それを使ってヘッドフォンを接続することができました。
そして不思議なことに、どこからともなく声が聞こえてきたのです。
その仕組はラジオの受信機だったのですが、声が空気からこの小さなデバイスに入ってくることは、10歳の私にとって驚くべきことでした。
そして、どのように機能するのか知りたかったのです。
それから、アマチュア無線を13歳で始めて、18歳で大学で忙しくなるまで続けましたよ。
1955年にUCLAから物理学の修士号を取得し、核殻理論の博士号を取得する前に数学に転向しました。
その変更のきっかけは何でしたか?
私はUCLAでの大学院の物理学の研究に励みました。
2年後に修士号を取得し、全ての試験に合格し、博士論文の半分を書きました。
しかし、どのように計算すればよいかわからない数学的計算に直面しました。
そこで、もっと数学の授業を受ける必要があると感じたのです。
当時、UCLAは物理学専攻の学生に対して数学の要件がそれほど厳しくありませんでした。
私は数学の大学院プログラムに飛び込み、努力しました。
ある日、大学院の数学の授業で非常にシンプルなアイディアに驚かされたことを覚えています。
それを理解したら、全てがクリアになりました。
なぜそうなったのか、正確には言えません。
ブラックジャックとカードカウンティング
ラスベガスに立ち寄る前、ブラックジャックをプレイしたことはありましたか?
カジノのギャンブルゲームをプレイしたことはありませんでした。
ラスベガスのブラックジャックのテーブルに行った理由は、UCLAの教授、ロバート・ソロゴンという人が、統計学の学術雑誌にハウス(胴元)とほぼ同じようにプレイする方法についての記事があると教えてくれたからです。
私はギャンブルについて何も知らなかったので、少しの間、カジノ側とほぼ同じようにプレイするのは楽しいだろうと思いました。
それが私にとってあまりコストがかからないと思ったからです。
カジノに着いたときに、最も近いブラックジャックのテーブルに座り、約40分間プレイしました。
プレイ中に、プレイしている人々がゲームを理解していないこと、そして運営している人々もゲームを理解していないことに気づきました。
その後、UCLAに戻ってその記事を読みました。
読み始めるとすぐに、どのカードが出ているかを追跡していないという見落としやすいアイディアに気づきました。
それが、有名なカードカウンティングのアイディアです。
カードカウンティングのために複数のカジノから出入り禁止にされた後、あなたは非常に精巧な変装を考え出しました。
お気に入りのコスチュームをいくつか教えてください。
ディーラーをやっつけろ
私がブラックジャックのプレイヤーとして一線を退いたきっかけは、カードカウンティングについての本を書いて、ベストセラーになったからです。
そのため、カジノは新聞や雑誌で私の写真を見るようになりました。当然、カジノでプレイするのが難しくなりました。
私はあまり多くプレイしていませんでしたが、旅行で年に数回プレイしました。
カジノでプレイすることが非常に難しくなったとき、私は変装を試すことにしました。
私のお気に入りのひとつは、ひげを生やし、ボサボサの髪の毛の容姿です。
その容姿で、コンタクトレンズとサングラスを着用しました。さらに、ボロボロのジーンズとYシャツを着るのです。
友人の友人であるカップルが、私がどのようにカジノでプレイするのかを見るために一緒に行きたいと言っていたので、承諾しました。
カジノ側に指摘されにくいように、私の周りに人がいることが好きなのです。
私はリノのテーブルで2晩プレイしました。
最初の夜、私はこの乱雑な格好をして4〜5時間プレイしました。
ディーラーの女性は私に非常に興味を持っていましたね。
彼女は私が持っているお金を見て、彼女が午前2時に勤務を終えると説明しました。[笑]
私はあまり話さずにプレイを続け、ずっと勝ち続けました。
そのため、カジノで働いている人々が次々とやってきて、指摘し始めたのです。
午前1時頃、カジノ関係者が私を追い出しました。
私はそこを去り、変装がどれほど効果的だったかを確認するために戻りました。
ひげを剃り、髪型を少し整え、コンタクトレンズを着用し、サングラスはせずに、スポーツジャケットとズボンを着て出かけました。
一緒に来たカップルの部屋を訪れ、夕食のためにドアをノックしましたが、彼らはドアを開けて、「はい?何ですか?」と私を全く認識していませんでした。
「これはうまくいくだろう」と思いましたね。
夕食の後、前夜と同じブラックジャックのテーブルに行き、同じ席に座り、同じディーラーとプレイしました。
誰も私を認識していません。
私はプレイを続け、勝ち続けましたよ。
再び全ての従業員が私のテーブルにやって来ました。
「もうこの変装を見破られたのか?」と思いましたが…
しかし、実際には私の隣にいた男がプレイヤーとして不正をしていたのです。
彼は悪いカードを持っているときにベットをこっそり取り除こうとし、良いカードを持っているときにはチップをこっそり追加しようとしていました。
皆が彼のところにやって来て、彼を叱り、彼が誰であるかを皆に伝え大騒ぎになりました。
ディーラーが私の声に気づかないように話はしませんでした。
ウェイターが「カクテルはいかがですか?」と聞いてきたとき、私は非常に低い声で「ミルクを持ってきてください」と答えたくらいです。[笑]
私は午前1時か2時頃までプレイし、去りました。
前夜と同じ人物だとは誰も気づきませんでしたね。非常にうまくいきましたね。
しかし、「変装を続ける価値はない」と思いました。
新しい変装を考え続け、常にそれを変えなければならない。
私は一生をこれに費やしたくありませんでした。
最後のカジノ
最後にカジノに行ったのは2012年です。
「ブラックジャックボール」というイベントに参加したときです。
これは、ブラックジャックや競馬のようなゲームで多くのお金を稼いできた、いわゆる優秀プレイヤーたちの集まりです。
ルーレットやブラックジャックのプレイヤーなどがいます。
「21」という映画(邦題:ラスベガスをぶっつぶせ)を見たことがあるでしょう。
MITのブラックジャックチームについての映画です。
私がMITを去ってから約15年後、このチームはMITで結成され、約20年間活動していました。
そして、チームのリーダーの一人、ジョン・チャンという男が、今でも毎年多くのお金を稼いでラスベガスに住んでいます。
彼の妻、ローリーもチームの一員でした。
私たちは彼の友人であるカウンティングの専門家と一緒にランチに行きました。
彼は「ARIAのブラックジャックのテーブルで写真を撮らないか?」と提案しました。
しかし、私たちがそこに行くと、「ここで写真を撮ることはできません」と言われました。
彼は「それなら、数回プレイしてみるのはどうだろう?」と言いました。
私は「プレイする予定ではなかったので、バンクロール(手持ち資金)を持ってきていない」と答えました。
すると、彼はポケットから2万ドルの札束を取り出し、5,000ドルを。友人は5,100ドルをチップとして購入しました。
彼らは私の前に1,000ドル分のチップを置き、私たちは約20分間プレイしました。
50代から60代の東ヨーロッパ出身の優しいおばあさんがいました。
おばあさんは彼に「あまり上手なプレイヤーではないわね」と指摘しました。
「もっとゲームを勉強し、ブラックジャックについての本を読むべきだわ」と彼に言いました。
チャンは彼女に「もっと上手くなるように努力します」と約束してました。[笑]
それから約20分後、私たちは退屈していました。
私たちは立ち上がってテーブルから去り、合わせて4,000ドルの利益を手に入れました。
それが私がプレイした最後のカジノです。
UCIとオプション理論
あなたはUCI(カリフォルニア大学アーバイン校)の数学の創設教授でした。
UCIに参加することを決意したのはなぜですか?
実際には2つの理由があります。
ひとつは、私の亡き妻が当時南カリフォルニアに戻りたかったからです。
私たちはそこで育ち、愛していました。
2つ目の理由は、UCIが新しく革新的なキャンパスであり、多分野間の活動がたくさんあると思ったからです。
キャンパスを訪れたとき、さらに気に入りました。
数学の教授として、なぜギャンブルの研究を行うことに魅力を感じたのですか?
その研究はどのようにして金融のキャリアに移行したのですか?
オプション理論との出会い
ブラックジャックに関する本を書いて多くのロイヤルティを生み出したとき、学問的な人生で初めてお金を手に入れました。
それまでは毎月の終わりに銀行の残高がゼロになる状態でした。
「このお金を何かに使わなければならない」と思ったのです。
どのように投資するかを考えるために2回の夏を費やしました。
私は自分で学ぶタイプの人間で、大恐慌や第二次世界大戦の中で育ち、親が交代勤務や夜勤で働いていたため、ほとんどの時間を一人で過ごしていました。
だから、私は金融についていくつかのことを自分で学びました。
そこで私にとって正しいと思うアイディアに出会いました。
それは現在「オプション理論」として知られているアイディアでした。
私は「オプション理論」に取り組み始めたのです。
UCIのキャンパスに行った初日、私はソーシャルサイエンスの創設者であるジュリアン・フェルドマンという人と話しました。
彼は「ああ、オプション理論の研究をしている教授がいます」と言いました。
それはソーシャルサイエンスの学部の経済学の教授、シー・カスーフという人でした。
私たちは仲良くなり、オプション理論ついての本を書き、本を書きながらできるだけ学び、理論をより良くするために実際に投資しようと思いました。
それが私が投資を始めたきっかけです。
私たちは別々の道を進みました。
私はキャンパスの関係者のために投資を始めました。
中には、学長の秘書や大学院部の学部長などがいました。
私が彼らを見つけたのではなく、彼らが私を見つけたのですよ。
当時、彼らはオプション取引に似たワラント債で年間20%~25%を稼いでいました。
その後、私は多くの投資家を持つようになりました。
ウォーレン・バフェットとの出会い
投資家の1人が私をウォーレン・バフェットという男に紹介しました。
ウォーレン・バフェットは夏にUCIに来て、エメラルド湾に滞在していました。
私を紹介した大学院の学部長はウォーレン・バフェットへ投資しておりましたが、ウォーレン・バフェットの価格が高すぎるため手を引いており、各部長のお金を返していました。
学部長はお金をどこに置くべきか知りたかったので、ウォーレン・バフェットに私を紹介しました。
ウォーレン・バフェットは私のことを評価することができると思ったので、学部長は私のヘッジファンドに多くのお金を預けてくれました。
学部長と彼の奥様が亡くなった後、そのお金の一部がUCIに戻ってきました。
結果、良い結末を迎えましたね。[笑]
人生最高のアドバイス
では、寄付についてお話ししましょう。UCIにあなたのコレクションを寄贈することを決めたきっかけは何でしたか?
また、このコレクションが将来の研究でどのように使用されることを望んでいますか?
仕事や研究結果を公表すると、人々は通常結果だけを目の当たりにします。
しかし、その背後にあるもの、例えば、努力、アイディア、インスピレーション、失敗、絞り込みや剪定などは一般的に見ることはありません。
私は、結果が出てくる前の多くの仕事の中に非常に有益で洞察に富んだ考えがあることに気づきました。
私の研究の中でも、結果として世間に公表されなかった思考の過程を世の中に出すことで、役立つのではないかと思いました。
私は未公開の研究や、ギャンブルや金融などのさまざまな分野で非常に興味深い人々と広い繋がりも持っています。
物事の背景を掘り下げたいと思うような人々が、本当に掘り下げることができるような一助を私はしたかったのです。
さて、最後の質問です。
多くの人々があなたにアドバイスを求めていることでしょう。
あなたが受け取った最高のアドバイスは何で、それは誰からのアドバイスですか?
それは難しい質問ですね。
私は一生の間に、たくさんの良いアドバイスを聞いてきましたし、皆さんもそうだと思います。
しかし、多くの人々は人からのアドバイスを受け入れません。
大切なことは、アドバイスを自分事にする必要があります。
最も重要なことのひとつは、自分自身で考えることです。
投資においても、自分自身で考えることです。
「証拠に基づく投資(evidence-based investing)」と呼びます。
自分自身で証拠を探し出し、それを検証し、そして判断を下すことを試みます。
他にも、教科書に載っているような投資がありますが、大抵それはうまくいきません。
なぜなら、すでに多くの人がその情報は知っているからです。
そこに価値があるなら、すでに市場で取引されているでしょう。
ですが、私の経験では「証拠に基づく投資」は機能します。
人生でも、証拠を使用して結論を引き出し、判断を下し、専門家が言うことを追うのではなく、物事を考えることを試みるなら、あなたは長期的により良い決定を下すことができます。
これには、判断や予測をより良くする方法を見つけるための学術的努力が必要になります。
そして、驚くべきことのひとつは、専門家は一般的にはうまくいかないと言うのです。
専門家は、手にハンマーを持っているので、全てがクギに見えてしまうのです。
彼ら彼女らは、世界や人生を見るための繊細で変化に富んだ方法を持っていません。
証拠だけを評価し、判断を下すことになります。
なので、あなたが「自分自身で考える」ことができるならば、それが私が考える最高のアドバイスになりますよ。